西多賀探検記B

  仙台市内にある神社で、最も古い神社は、富沢の「多賀神社」と言われてます。境内の案内板には第十二代景行天皇(けいこうてんのう)四十年(西暦111年)日本武尊(やまとたけるのみこと)は、父の景行天皇の命により、東国の蝦夷を征討の折、この地に勧請(伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱を祀る)したのが、始まりだそうです。
また、平安時代、醍醐天皇の命により法制が整備され、いわゆる延喜式内社の一つで、国が官社として奉斎した神社だそうです。
 明治5年には、旧西多賀村の村社となり、明治42年11月大野田村に祀られてあった春日神社、宝龍神社を一緒に祀ったそうで、
 大正2年4月、本殿が火災に遭い、そのさい神社ゆかりの古文書、古器物を焼失しました。が、御神木の<柏の木>だけは焼けずに残ったそうです。現在の社殿は、大正2年12月に着工し、大正4年4月、本殿一棟、拝殿一棟が完成しました。
明治22年 名取市高柳の多賀神社との間で、延喜式神明帳に書いてある「多加神社」は当方である、と論戦したが、富沢の多賀神社を式内社、高柳の多賀神社は所領地となったそうです。
  延命・長寿・縁結び・家内安全の神として5月1日の祭典の日は、秋保電鉄「西多賀」駅からの参拝の人たちが、延々と続いたそうです。隣町名取市高柳にも「多賀神社」があり、西多賀という地名の由来にも関連してます。 式内社:陸奥國名取郡 多加神社
 道標が広瀬橋たもとにあり、参道が宮城農学校・大年寺・木流し堀づたいに滝沢寺の山門前を通り金洗沢から多賀神社へと
続いていたようです。
いつの頃からは記録にはないのですが、参拝の時に、(たが)(竹の輪)を奉納して、延命長寿を、祈願するのは今でも続いてるようです。
鳥居から階段を上って拝殿へ 拝殿 これが延命長寿祈願の(たが)です 神楽殿
多賀神社のお祭り




多賀神社のお祭り(祭礼)は、毎年苗代の頃5月1日に行われます。大祭では、神楽舞も披露せれ多くの出店、
縁日で賑わいます
昭和の時代は、学校も休校になり子供たちの、
楽しみな1日になったようです
大きなのぼりが目印 多くの出店が軒を連ねています 神楽殿と神輿


参考までに

名取市高柳 ≪多賀神社≫


西多賀探検記 三神峯 編
        木流し堀 編
      天沼 編

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